国境の南、太陽の西

村上春樹作。1995年。

 

 

たしかFacebook村上春樹のページに

"“Sometimes when I look at you, I feel I’m gazing at a distant star.
It’s dazzling, but the light is from tens of thousands of years ago. Maybe the star doesn’t even exist any more. Yet sometimes that light seems more real to me than anything.” 
—from South of the Border, West of the Sun"

っていうのがあってそれで興味を持った作品。

過去への憧憬という意味で強く既視感を覚えた。

 

 

小学校時代に出会った足の悪い少女、島本さんを忘れられない主人公→高校生で付き合った彼女の従姉妹に手を出し傷つける→そんな自分に失望しながらも達観→幸せな家庭を作る→島本さんを追ってしまう→バーの店長として社会的に成功し少し有名に→島本さんが訪れる→家族を裏切る。。。

テーマとか何なんだろうね?

 

 

 

キッチン、ムーンライト・シャドウ

吉本ばなな作。1987-88にかけての作品かな?

 

幼い頃に両親を失い、祖母まで失ったみかげが、祖母が可愛がっていた雄一の家に引き取られてから雄一と人生をともにすることを決意するまでを描いている。

 

キッチンは、みかげが好きな場所。孤独を癒やす場所である。台所の存在はみかげにとってこの世に一人ではないと感じ浅せてくれる場所→物語が進むに連れて田辺家→雄一にそれが移っていったと思う。

 

この作品のテーマはあとで作者自身が書いているように、

感受性の高さゆえに感じる孤独や辛さは、ほとんど耐え難い。しかし時が経てばそれはよどみなく過ぎていき、それはそんなに悪いことではない。ほんの少し考え方を変えれば感じやすいことをうまく利用して人は自分の人生を思い通りに生きていける

ということであろう。

 

むしろその意味ではムーンライト・シャドウのほうがそれが色濃くでてるかな。こっちはもっと時間の流れ(川にもつながる)を意識させる。

私は幸せになりたい。長い間、川底をさらい続ける苦労よりも、手にした一握りの砂金に心奪われる。

さいごに、何度も手を降ってくれてことに感謝しているけれど、これは等が、もういきなよと背中を押して先の未来に進ませてくれたことに感謝してるんだと気づいて感激。。。

 

 

 

老人と海

ヘミングウェイ作、1952年発表。

 

あらすじ

キューバで漁業を営む老人サンチャゴが、巨大なカジキを釣り上げるまでの格闘とその帰途に無残にも獲物を冷めに食い荒らされる様子を描いた作品。”自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作”らしい。

 

感想

うーん、僕には難しい。。。。また学ぶか。。。。

 

ヘミングウェイの『老人と海』のあらすじ、解説、感想とかとか。 - 良い本ドットコム

 

ここよかった

考えるポイント

老人にとっての少年の存在?

ライオンの夢の意味

テーマ?

 

 

 

異邦人

カミュの処女作。1942。舞台はアルジェリア

 

とてもよかった。海外文学のなかでトップクラスに好き。終盤の怒涛の勢いには鳥肌もたったし。最後の司祭をまくしたてるシーンはあきらかにハイライト。

 

最初はムルソーが不条理なのかと思ったけど不条理なのは世間だった

この辺は解説読んでわかったのだけれど、(こういうの自分で気づきたい)彼が死刑になったのはまさに母の死に泣かず翌日に女遊びをしたからという世間の常識から逸脱したからに他ならない。そこが世間の非条理さを示しているだろう。

しかしムルソーが人を殺したのも事実であり殺された側からすれば非条理極まりない話である。ムルソーは不条理の被害者ではあるけど同時に加害者なのか?それとも他に解釈があるのだろうか

 

 

ムルソーは諦観の境地だなというのは読んでて常に感じた

異邦人とはまさにムルソー自身のことである。価値観が人と異なるという意味でもだけど、神を一貫して信じないところも?決して祈らない、

 

 

疑問

なぜ殺したのか?

太陽のせいらいしいけど。。。

なぜ死に際して生き返るのか

切れだした瞬間は司祭が「わが子よ」とかたりかけたとき。

 

→君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手は空っぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、全てについて、君より強く、また、私の人生につて、来るべきあの死について。

 

全員が処刑されるというのは印象的だった。。。

 

なぜ多くの民衆に処刑の現場を見られたいのか

最後の幸福を認識するところのロジックが全くわからん。なんで死を意識して解放されるんだ

司祭との対立の意味

 

てか結局本当に人間社会の不条理が主題なのか?

 

 

↓以下調べたりしたこと

不条理

wikiによればこういうことらしい

不条理は彼の書いた著作の中で見ることができるが、「シーシュポスの神話」が不条理をテーマにした彼の最重要な著作である。その中で不条理を理想との間に生じる対立、葛藤、分裂であるとした。特に、不条理に直面した状態を、意味を求めるときに生じた矛盾との対立であるとし、理性をもつ種である人間が直面する問題とした。不条理を悟ったり気づくことは個人に3つの選択をもたらす。自殺、宗教などへの盲信、不条理の認識である。彼は不条理を受け入れることが生き続ける唯一の方法としている。

カミュにとって自殺は「人生は生きるに値しない」という懺悔であり、自殺することは暗に「もう十分生きた」と言うようなことだとしている。自殺は最も単純な不条理の解決法で、この世界での自己の終わりである。

不条理を克服するには、宗教などを盲信するという手もある。これはキルケゴールが『沈黙のヨハネス』という名で触れている。カミュ自身はこれを理性を捨てる行為であるとし、不条理ではないとした。この盲信を"哲学的自殺"とし、肉体的な自殺とともに不条理の解決法から排除した。

カミュは不条理が受け入れることができるものであるとした。理由は、人生の意味が不条理を超えたところにあるからである。もし不条理に気づくことができれば、この世界が意味を持たないことに気づく。ということは個としての我々は真に自由であり、世界を客観的ではなく主観的に捉えることができるとした。個々が意味を探し求めて自分なりの解釈を得ていくことで幸せになれるのである。

『シーシュポスの神話』でカミュは、「不条理から3つの結果を得た。反抗と自由と情熱だ。私は自分の意志で人生に待ち構える死を受け入れ、自殺を拒絶した」と言っている。

まさに司祭が「死んだように生きている」のは哲学的死なのだろう。

 

太陽のせい、というのはあらゆることに意味を見出そうとする民衆にとっては適切な理由にあたらないが、そもそもそれがどんな理由であれ意味はないそういう意味で、太陽のせいってどういうことだろうってかんがえてしまった僕はまだカミュの思考の枠に入れていない。

 

あらゆる事象に安易に意味を見出そうとするのが大半の民衆の行動原理であるが、ムルソーはその一切を否定する。この世に生きる意味などないのである。

 

弁護士と検察のくだり忘れてた。ここではムルソーの行動を自分勝手に解釈していく二人を描くことで、(そしてどっちも外れてる)結局意味がないことを描いているのか。

 

最後の文の世界の寛容さ、ってのは死が万人に訪れるからかな?平等に。それだけは平等に。

 

 

神の子どもたちはみな踊る

UFOが釧路に降り立つ

 

妻に「二度と戻らない」と宣言された男が、羽根を休めるために向かった釧路で出会った女性との会話を通じて自らの本質と向き合っていくストーリー?

自らの依拠している世界はある日突然簡単に、理不尽に破壊されてしまう。それを地震のニュースから感じ取った妻にとって、もはや"中身がない"夫と暮らしていくこと価値を見いだせなくなったのだろう。UFOを見たといって家族を置いて失踪した女性にとってのUFOがそれまでの価値観を破壊する存在であったように、小村の妻にとっての地震もまたそうであったのだろう。

一方でなぜ小村の運んだ箱には彼の中身が入っているのだろうか。おそらくはその受動性にヒントがあるのではないか?

何の不満もないと思っていた夫婦生活が終焉を迎えても、それを奪還しようという試行も行わず(それはおそらくは無駄なのだろうが)、ただ同僚との話の流れで釧路に行き、荷物を運んだ。その時点で彼の魂、意志はすでに死んでいたのかもしれない。

しかし釧路で出会った女性の戯言「小村さんの中身が、あの箱の中に入っていたからよ。-だからもう小村さんの中身は戻ってこない。」を聞いて彼は"自分が圧倒的暴力の瀬戸際に立っていることを思い立った"。

それはある意味では人間の本質なのかもしれない。自らの本質の空虚さを突然自覚すると、凶暴な感情に突き動かされる(ここの連関が弱い気がするが、感情的なものに理屈はないからあえてロジックがないのかも)。

しかし同時に、その瞬間は始まりの瞬間でもある。皮肉なことに、圧倒的理不尽を前にしてしか、我々は自分の立っている地面を見下ろせないのだ。