神の子どもたちはみな踊る

UFOが釧路に降り立つ

 

妻に「二度と戻らない」と宣言された男が、羽根を休めるために向かった釧路で出会った女性との会話を通じて自らの本質と向き合っていくストーリー?

自らの依拠している世界はある日突然簡単に、理不尽に破壊されてしまう。それを地震のニュースから感じ取った妻にとって、もはや"中身がない"夫と暮らしていくこと価値を見いだせなくなったのだろう。UFOを見たといって家族を置いて失踪した女性にとってのUFOがそれまでの価値観を破壊する存在であったように、小村の妻にとっての地震もまたそうであったのだろう。

一方でなぜ小村の運んだ箱には彼の中身が入っているのだろうか。おそらくはその受動性にヒントがあるのではないか?

何の不満もないと思っていた夫婦生活が終焉を迎えても、それを奪還しようという試行も行わず(それはおそらくは無駄なのだろうが)、ただ同僚との話の流れで釧路に行き、荷物を運んだ。その時点で彼の魂、意志はすでに死んでいたのかもしれない。

しかし釧路で出会った女性の戯言「小村さんの中身が、あの箱の中に入っていたからよ。-だからもう小村さんの中身は戻ってこない。」を聞いて彼は"自分が圧倒的暴力の瀬戸際に立っていることを思い立った"。

それはある意味では人間の本質なのかもしれない。自らの本質の空虚さを突然自覚すると、凶暴な感情に突き動かされる(ここの連関が弱い気がするが、感情的なものに理屈はないからあえてロジックがないのかも)。

しかし同時に、その瞬間は始まりの瞬間でもある。皮肉なことに、圧倒的理不尽を前にしてしか、我々は自分の立っている地面を見下ろせないのだ。